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裏もの 
2004年07月29日(木)
皆さんお元気でしょうか?更新した事、だれか気づくんでしょうか?
さすがにもうこのコーナーを見ている人はいないだろうなぁ…、と思いつつもちょっぴり書いてみます。

今僕は同棲しています。男5人で…。地上2階、地下1階計3階建て1軒家。地下が僕の部屋です。
地下と言っても、崖に建っているのでベランダもあります。
そこの大家であるたっつぁん。彼が家なき子の僕を拾ってくれました。

引越しを完了し、初めての夜。眠れませんでした…。ダニです。みなさん、ダニって光が嫌いって知ってましたか?
その部屋は数週間明かりが灯っていなかったらしく、明かりをつけると床になにやらウゴメク小さな玉のような物が。
直径1ミリ程度のその玉。それはダニが光から逃げる為、仲間と重なるように集まってきて出来た玉でした。
それが数分で数十個完成。動きます、大きくなります。とりあえずコンビニでダニ退治グッズを2千円くらい買いました。
スプレーを吹きかけ、玉の動きが止まったところを確保&撤去。
2時間くらい格闘の末、就寝。またカユミで起こされ光&スプレー。気づけば朝でした…。

そんなたっつぁんの家には車が4台。2台はたっつぁん所有の物で、車の無い僕に自由に使ってくださいとキーをくれました。
貸してもらった車検ギリギリのマーチ。助手席には足が20本くらいある、ゆーっくり歩く黒い虫がいました。
ダッシュボードにあった地図を振り上げても逃げません。余計に怖い。逃げられても困るけど、逃げないのも困る。
結局地図により退治したのですが、この虫が部屋にも出てきました。
たっつぁんに虫について報告すると「あぁ、黒いやつですよね。あいつは噛んだりしませんよ」とテンダー。
そういう問題なのかぁ…と首をかしげながらナウシカライクな部屋での生活は続いています。

このたっつぁん。見た目は若干怖めの風貌ですが、僕にもテンダー。
そんな彼は2月まで家庭教師をしていたのですが、
彼の母上に「いい加減に就職しなさい。私の知り合いのとこにいきなさい」と言われたそうです。
2つ候補があり、1つは雀荘、もう1つはフィリピンパブだったそうです。
彼は結局フィリピンパブで働き始めました。他のスタッフが全てフィリピン人の中、異文化コミュニケーションに勤しんだ彼ですが
先日フィリピンパブを辞めましたと旅先の僕にメールが入りました。
帰宅後話を聞くと、その店にフィリピン人女性を斡旋していた人物がクスリで捕まり、その家に手入れが入った際
斡旋している女性たちのデータが出てきて、そのほとんどがビザ期限を大きく越えたオーバーステイと判明した為
パブ自体が廃業になってしまったとの事。

「で、仕事どうすんの?」と聞くと
「大丈夫ですよ。今月イッパイはオーバーステイの女の子を成田まで何回も送る仕事がありますから」とスマイル。
「やっと裏社会から復帰だね」と言うと
「ホントですよ。あぁいう商売はよくないですね。」とスマイラゲイン。

その時僕が「マーチの車検切れちゃったから、これからまた不便になるなぁ。安いのないかなぁ」と言うと
「車欲しいんですか?わかりました」と携帯を取り出しました。

「もしもし、俺だけど。オマエのとこで今1番安い車って何がある?」とたっつぁん。
時刻は午前3時。
電話口の声が僕にも聞こえてきました。
「イマ、ヤスイクルマハナイデース。」
「俺の世話んなってる人が車探してっから頼むわ」
「O.Kデース」

電話を切ると
「俺の知り合いのパキスタン人がルート持ってんすよ。金融車は名義代えらんねーから、マトモなの持ってこさせますよ」とスマイラゲイン。

彼の背後に見えたベランダからの夜の闇。
いつもより黒く見えたのは気のせいでしょうか?
彼は24歳です。


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新世界 
2001年11月31日(土)
みなさん。どうも。いかがお過ごしでしょうか?



さて、僕もすっかり東京に来て時間が経ってしまいました。

よく「関西ってどんなとこー?」だとか「お好み焼き定食って考えられないよー」とか言われます。

それでは僕の知る関西をここでお話しようと思います。

これは僕の友人の経験談です。青ざめた彼は言いました。
「俺昨日新世界行ってきたんやけど・・・・」


彼はバイクを買いました。250か400の。19歳のバイク。
嬉しくないわけがありません。うれしい、うれしい、うれしすぎてますよ。
彼が村西監督調なコメントを残すのも合点がいきました。
そんな彼は週末、これまた出来たばかりの彼女とデートの約束。
幸せの絶頂。その夜も絶頂を迎えると信じて彼女の家までハングオン。
彼女をタンデムし、彼が向かったのは天王寺動物園。

JR大阪環状線の南に位置するその街はなかなかの活気。

昼過ぎまで街で過ごした彼等はお昼御飯を食べたあとどこに行こうかと考えていました。
「通天閣に登りたい!」彼女は言いました。彼女の行くところならどこでも行きたい友人。
バイクに跨がった二人は通天閣を目指しました。
そして通天閣からほど近い商店街に着き、バイクを停めました。その商店街。負の生活感。
彼等は歩きました。その商店街を。様々な商店が並びます。
ある店の前で彼は発見しました。段ボールに満載の古びた布の上にこう書いてありました。
「石原ゆうじろうのはいたパンツ 500えん」

「加山ゆうぞうのはいたじゃんぱ(おそらくジャンバー) 1000えん」

その品揃えはヴィンテージ。裕ちゃんがはいたパンツはいいヨレ入ってました。

彼等は爆笑。もう通天閣に行くのも忘れその商店街を歩きまくりました。

そして通天閣に着くと人が並んでいます。

どうやら展望階までのエレベーターらしく、その列は予想以上に長いものでした。
彼等は登る事は次回に持ち越し、先の芸能人古着屋をもう一度通って帰ろうと歩き出しました。
商店街でゆうじろうやゆうぞうのレアものを再確認し、バイクの元へ。
するとバイクに跨がる人影。二人はゆっくりと近付きました。

するとおっさんです。
年令不詳、無職が一見するだけで確認出来るおっさんが彼の買ったばかりのマシンに跨がっています。
そんなおっさんのファッションは下半身丸出し。
二人は動けませんでした。おっさんは二人の視線には目もくれずライド オン タイム。
そしておっさんは立ち上がり、そして何事もなかったかのように二人の横を通り過ぎていきました。
彼はバイクの元へと走りました。するとシートにはおっさんが産んだばかりの一本グソ。
彼は叫びました。そして目の前のお好み焼き屋に入りおばはんに洗剤とブラシ、そしてホースを借りて愛車の前へ。
彼は泣きました。泣きながらブラシでシートを擦りました。
新車のシートの表面がどんどん剥がれてゆくほどに。彼女は近付けませんでした。
彼の涙をこんな形で見ようとは。彼は気が済みました。
シートからは少しスポンジ地が見えたと言います。

彼女も嫌な顔せずシートに跨がりました。

そして彼がお好み焼き屋のおばはんにブラシなどを返しにいくとおばはんは言いました。

「はい、使用料500えん」


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GT 
2001年11月29日(木)
あ、どうもどうも。読んでくれてるんですね。
って読んでる人いるんですかね?まぁいいです。
今回は僕としてはメルヒュンなお話を…。
あれは原付の免許を取って初めて一人で給油しに行った時の事。
それまでは親父の車でしかガソリンスタンドには来た事がなかったんです。
そして原付はもらいものでした。

あれは、そう、夕立の上がった後。
駄菓子屋さんで婆さんとひとしきり話して雨宿りをし、
その店で駄菓子屋としては破格の500円くらいを使うというリッチな買い物を済ませた後。
原付にまたがり少し走った所でガソリンが少ない事に気づきました。
僕はガソリンスタンドをシミュレート。
いつも親父はゴミを渡す(原付なのでパス)。
なんかのカードを渡しつつ(カード無いのでパス)、「満タン!」の一言(これだ!)
しかし、僕は一つの事を思い出しました。
「親父はいつも満タンで4000円くらい払っている…。」
僕は愕然としました。手持ちは1800円。
どうしよう…。家に帰るくらい燃料を入れてもらえるだろうか?
「1800円分入れてください」
というのは細かすぎるが1000円じゃ少なすぎる。
ここは1500円分と恥ずかしながら言おう。
「はーい、オーライ、オーライ」
お兄さんが僕の方へ寄ってきて言います。
「現金満タンでよろしいですね?」
なんで決め付けるんだ!
僕は逆ギレと恥ずかしさでいっぱいです。
「いや、あのぅ…」
お兄さんは「あ、ハイオク?」と言います。
馬鹿いうな!レギュラー満タン出来ないのになんでハイオク入れれるんじゃ!
僕はゆっくり答えました。
「いやー、今日ちょっと持ち合わせあんまり無いんで、1500円分お願いしますぅ」
お兄さんは
「に、にーちゃぁーん!1500円も入れたらあんたあふれてまうで!
どこにそんなに入れれんの?飲むん?うははははははは!」

初めて知りました。
原付のタンクには5リットルくらいしか入らない事を…。
お兄さんは他の店員さんを呼んで大笑い。
「えへへ…、お、おもしろかったぁ?」
などとヒクツに笑ってみても後の祭り。
今まで生きてきた中でも5本の指に入るくらい恥ずかしかったです。
その後、お兄さんはキャンペーンで配っていたラーメンを原付にしこたまくくり付けて
「またおいでー」と言ってくれました。
もう関東に越してしまい、そこに行くことはないのですが、今でも恥ずかしいです。
これからいろんな乗り物を買う時は
燃料タンクの容量くらい聞いておいてもソンはないはずですよ、みなさん


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震えが止まらない…。 
2001年11月27日(火)
まだ関西にいた頃のお話。
大雨の夜、武蔵丸対一色さえの「食わず嫌い王」を見ていました。
なんだかうるさい車が家の前を通り過ぎます。
テレビの声が聞こえなくなったので「あにすんだ、こるぁー!」と思いましたが、
そんなうるさい車に乗ってる人達と関わり合いを持つには少し非力なのでこらえました。
そして数分後。
なんとなく、ほんとになんとなく声が聞こえます。
テレビの音を小さくしました。
「…すけて…」
?なんでしょう?テレビを消して窓から外を見てみました。
家の前はヨットハーバーなんですが、声はその暗い海から…。
「たすけてー!」。
今度はハッキリ聞こえました。
その声のする方に目を凝らしてみました。すると人の姿が!
すぐに家を出ました。
走って現場に行くと若いにいちゃんとおっさんが女の子を引き上げようとしています。
でも女の子の服は水を含んでいたので2人ではきつそうです。
走り寄って一緒に引き上げました。
女の子は水を吐き、震えが止まりません。よく見るとその兄ちゃんもずぶ濡れ。
「く、車ごと落ちたんです…」
彼が言うには大雨の影響もあって潮位が高く、海が暗すぎて道に見えたのと事。
海だと気づいてブレーキを踏んだが間に合わなかったそうです。
「とにかく救急車、あと、警察に連絡を」
我ながら踊る大捜査線チック。
でも、事件は会議室でも、ドラマの中でもなく、まさに現場で起きていました。
その後、カップルは病院へ搬送。
これからあの2人は車や海がトラウマになってしまうのではないだろうか?
と思うほど泣き叫んでいました。
でも無事でよかった。そう思う雨の午後。
普通の報告のようですね。まぁ、僕にとってはニュースだったんですよ。


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関西弁 
2001年11月25日(日)
こんにちわ。
今日は幼い頃の思い出から書き始めたいと思います。
あれは小学生になったかならないか、そのくらいの頃の事です。
兄がいるのですが、やはり幼少時代、兄弟喧嘩にあけくれていました。
兄とは3つ歳が離れています。
その頃の3歳差というのはボクシングでいうところのモスキート級VSスーパーヘビー級という趣きです。
かなう訳もなくただ、そうただ自らの闘争本能に任せて戦火をくぐり抜けていました。
そんなある日、またケンカです。なにが原因かはわかりません。
とにかくファイト&ファイト。
その日の兄は「今日こそコロシテヤル…」と高らかに宣言し、
本当に殺されそうになっていました。
そんな時親父が帰ってきました。
その戦況をみるやいなや「やめんかぇ!」の一言。
2人は一瞬にしてベルサイユ条約。休戦モードです。
その後も局地的な戦闘はありましたがその日は終戦。
幼少の話はこれで終わり。今日のお題はここから。

東京に住んでいる友人が遊びに来ました。
彼、彼女たちは関西弁がたいそうお気に入りのご様子です。
その日も僕は関西弁でさっき書いた兄との戦闘シーンを回想していました。
友人達は聞き入っています。僕の口も次第にビートアップ。
「おとうさん、コワイねぇー」(標準語で)友人が言いました。
「そんでな、親父が怒った後に兄貴がさっきまで飲んでた空缶拾ってな」
「うんうん」
「投げつけながら」
「うんうん」
「ちゃんとカンカン捨てんかぇぇぇ!って」
「??はぁ?」
「いやだから、カンカン捨てんかえ!って」
「カンカンってなに?」
「えっ?」
僕は知りませんでした。
「カンカン」とは全国共通の言葉ではないのですね。
友人達は「カンカンだってぇー。甘えた事いうんじゃないよ!」
と親父の威厳を一笑にしてしまいました。
狙いではない所で爆笑をとってしまった事に屈辱を感じました。
車で少し離れたところで昼から酒を飲みながら
「カンカン」の話とかをしていた訳です。
そして夕暮れも近づきもうそろそろ僕の家へ帰ろうとなった時、
一人が「検問とかやってたら困るから何かを買って口臭対策にしよう」と言いました。
もっともな事だと思い、東京の友人の運転する横でナビをしていました。
ふと近くに生協があると思い出し「そこ左曲がって」と言いました。
「なに?コンビニでもあるの?」と友人。
「いや、コープさんあるからそこでガムとアメちゃんでも買おうや」
友人「えっ?」

そうです。
コープやアメに
「さん」「ちゃん」「くん」
などを付ける関西弁の博愛精神が奴等にはわからなかったのです。
「俺もう死ぬぅー」とか言ってみんな大笑い。
「俺あめ食えねえよー!」とか色々言ってはバカにします。
みなさん、あんまり人にココロを許しちゃいけませんね。


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DiaryCGI nicky!
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